「 2017年05月 」一覧

子供の頃

子供の頃、DVを受けてました。

当時の家族構成ですが、母方の祖父母と兄と私の4人家族でした。
私が5歳の時に母はガンで亡くなり、父は母入院時から浮気をしていた女性と逃亡しました。
そこで祖父母が私と兄を引き取って育ててくれたんです。
ですので母が生きていた頃は兄からのDVはなく、祖父母宅に引っ越してからDVされるようになりました。

DVを受けていたのは祖父母宅に引っ越してからなので、5.6歳~15歳(中学卒業まで)です。
DVをしていた兄は私より4つ年上だったので力でかなうわけもなく、小学生中学年~高校卒業後一人暮らしをするまで私をDVしてました。

住んでいたのは祖父母宅で、市営団地です。
この頃の祖父母は60歳オーバーだったのと、部落差別とかがあった土地柄だったのでそれなりの配慮した家賃になってました。
毎月の家賃は1500円程度でした。
でも部屋の間取りはしっかりしてて、2LDKで風呂トイレつきです。
住んでた市は県庁所在地(人口50万人以上の都市)なので、それなりに栄えた土地でした。

兄からなぜDVを受けるようになったかですが、これには家庭環境が大きく影響したと思います。
父母と暮らしていた時、両親は私と兄を分け隔てなく愛情を持って育ててくれました。
まあ幼い頃なので断片的な記憶しかありませんが、兄が悪さをして両親からものすごく怒られてるっていうのはよく覚えてます。
もともと自分勝手な所のあった兄ですが、両親が抑えとなってくれてたんですよね。

でも祖父母宅に引っ越してから状況は変わりました。
兄は祖父母から見ると初孫です。
しかも溺愛していた母から生まれた子供でしたから、可愛い可愛いと超甘やかされて育ちました。
欲しいものがあればなんても買ってあげてましたし、兄の中学入学祝い(公立なので試験とかはなく誰でも中学入学できます)には30万ほどするオーディオデッキをかってもらったりしてました。
中学は自転車通学となり、自転車を買ってもらってましたが10万ぐらいする高いのをせがんで買ってもらってました。
今で言うロードバイクのような自転車ですが、当時は周囲に乗ってる人はいない(みんなママチャリ)ってぐらいで逆に周囲から浮いてましたね。
逆に私は中学祝いはなしで、自転車は中古の5千円を買ってもらったぐらいです。(7千円だったのを値切って)
本当なら自転車を買ったりもしたくなかったんでしょうけど、通学で必要だからしぶしぶ買ってくれたって感じです。
プレゼント一つとってもここまで兄と私の差はありました。
プレゼントだけでなく実生活でも兄にものすごく甘かったこともあり、その影響を受けてどんどん兄が我侭になっていったんです。


悲しかったのは

悲しかったのは、運動会、親戚とのお食事会です。

まず運動会ですが、普通両親が見に来てくれますよね。
実際クラスメートは家族が駆けつけてました。
私の場合、祖父は仕事、祖母も仕事で一人ぼっちでした。
小学生時代祖父母が運動会に来てくれたのは、兄も同じ小学校に通っていた時に一回と祖母だけが一回、後はずっと一人ぼっちで食事してました。
今だと共働き家庭も多いですし、子供が一人ぼっちで食事してるのも珍しくないかもしれません。
でも当時は今から30年以上前のことです。
共働き世帯は珍しいって時代です。
一人ぼっちの私はかなり目立ってましたし、担任の先生も哀れんで一緒にお弁当を食べてくれました。

さらに悲しい出来事は続きます。
私が小学6年生の時に祖母だけお昼に来てくれました。
ずっと一人ぼっちだった私は最初嬉しかったんですけど、周囲と見比べてみてものすごく悲しくなりました。
だって、同級生は20代か30代の若い両親と一緒に食事をしてるんです。
でも私は年老いた祖母と二人っきりです。
この時の祖母は70歳ぐらいだったんですけど、当時の70歳ってものすごく老けてました。
当時の70歳と今の100歳が同じぐらいって感じですね。
若い両親と一緒に同級生は食事をしてるのに、私はしわくちゃヨボヨボの祖母と一緒に食事をしてる、思春期を迎えつつあった私はとても恥ずかしかったし悲しく感じました。
そしてなにより、せっかく仕事を抜けて来てくれてる祖母を恥かしいと思う自分が許せませんでした。
この時の気持ちは今も色あせずに残ってます。

次の悲しい思い出は親戚とのお食事会です。
親戚が来るとちょっと高めの料亭みたいな所へ食事に行ってました。
こういう所って食事だけでなく親戚同士の話し合いもあるので、どうしても長くなってしまいます。
大体時間は7時~9時過ぎぐらいまでだったと思います。
しかし小学生の私からすると、この時間ものすごい退屈なんです。
しかも普段、9時なら寝てる時間です(祖父母は早寝早起きだったので、その影響を強く受けてました)。
当然普通の子供なら退屈だし眠いしでグズりますよね。
でも私の場合、これが許されませんでいた。
普通なら両親が子供がグズりだしたしそろそろお開きにしましょうかって流れになるんでしょうけど、そんなことを言ってくれる私の両親はいません。
兄からも、大人同士が大事な話をしてるんだから邪魔になるようなことはするなと怒鳴りつけられてました。
ですので、親戚のお食事会はとても苦痛だったのを覚えてます。
逆にこれは良い反面教師になったなと感じてます。

私の家庭環境上、子供時代の記憶は悲しい出来事や辛かった出来事ばかりになってしまいました。


特殊な家庭環境

私は現在,いいトシになってしまったのですが、子供の頃は大変でした。
というのも私が5歳の時に母親はガンで亡くなり、父は浮気相手と逃亡したからです。
ですので、私の子供の頃の記憶には父と母はおらず、その後引き取ってもらった母方の祖父母と一緒に暮らした記憶しかないですね。
私の記憶に残ってる子供時代の家族構成というと、5歳以降の祖父母と兄と私の4人で暮らしていた頃です。
住んでいた場所は祖父母宅ですが、東京や大阪のような都会ではないですが県庁所在地だったので一応都市部でした。
観光地となるお城もありましたし、自宅から半径1km以内に郵便局が5軒あるような所だったのでそれなりに栄えた土地でした。

家族の特徴ですが、祖父はのんびりとしたおおらかな人でした。
仕事は布団店です。
今は布団って安いものですし、古くなったら買い換えますよね。
でも当時は布団って古くなってくると打ち直しをし、リフレッシュさせてずっと同じ布団を使ってました。
ですので布団販売と布団打ち直し、これを生業にしてました。
趣味は特になく、お酒を飲むのが楽しみでした。
幸い祖父はお酒を飲んでも暴れるような酒乱ではなく、上機嫌になるタイプだったんです。
お酒に酔いつぶれて動けなくなるってこともなかったですね。

祖母は祖父の仕事の手伝いと家事ですね。
祖父はお金に関してルーズな所があったんですけど、祖母はキッチリしてました。
趣味は節約と貯金って感じでした。
今でも印象に残ってるのは祖母の食事です。
祖母はかなりの大食漢なんですが、男性のそれとは違ってました。
祖母の場合、ひたすらずーっと食べ続けてるんです。
例えば私や祖父の食事時間って10分ぐらいです。
出て来たものをサっと食べてすぐ満腹になるんですけど、祖母は一時間以上ずーッと食べてましたね。
食べるのが遅いのもあるんでしょうけど、子供心に異常だなと感じてました。

 

兄は私より5つ上です。
私は5歳で母は亡くなり父は去り、で両親の記憶はほぼありません。
しかし兄は当時10歳だったのでそれなりの記憶はあるようでした。
私は母が亡くなったのも理解出来てませんでしたが、兄はそれなりの年齢ですししっかりしないとっていう自覚があったんでしょう。
クラブ活動や塾はいってませんでしたが、成績は優秀でした。
それ故か、兄から強く躾けられることがありました。
こんな兄にも欠点はあります。
短気と肥満ですね。

これは兄というより祖父母が原因だったんでしょうね。

私と違い兄は初孫なので、猫ッ可愛がりしてました。
今でもおじいさんおばあさんって子供が可愛いばっかりで甘やかします傾向にありますよね。
普通なら実の両親がちゃんと教育して良いバランスとなるんでしょうが、残念ながら両親はいません。
ですので、食事は兄の好きなものをおなか一杯食べさせましたし、何か欲しいっていうと常に買い与えてました。
その結果、祖父母宅に来る前の兄はスマートだったのに、みるみる太ってましたね。
何か欲しいって強請ると祖父母は買い与えてたので、常に自分の思い通りになるって考えてる節がありました。
ですので思い通りにならないことがあると癇癪を起こして暴れてました。

私の子供の家庭環境はこんなところですね。